寛文新堤
時の権力者、白川法皇を嘆かせた天下三不如意は「」賀茂川の水、双六(すごろく)の賽、山法師」。今は穏やかな表情を見せる鴨川ですが、かつてはしばしば氾濫する暴れ川でした。平安時代前期から水害対策がこうじられ、その後何度も治水工事が行われました。寛文新堤は寛文9年(1669)、江戸時代前期に築かれた護岸のための石垣です。鴨川初の本格的な堤防ともいわれ、現在も三条大橋西詰下の石垣にその一部が残っています。一際大きな石を使った。城壁を思わせる様な石組みは迫力満点です。
先斗町歌舞練場の鬼瓦
歌舞練場の茶色い建物は六角形の窓が印象的なモダン建築でありながら、屋根瓦などの和のテイストと見事に融合しています。昭和2年に竣工。劇場建築の名手・木村得三郎の設計です。注目は屋根の上の鬼瓦。中国の蘭陵王の舞楽面をかたどった迫力ある風貌ですがどこかユーモラス。傍らに歌舞練場らしく鼓があらわしています。先斗町の守護神として、先斗町と鴨川を見守っています。5月1日〜24日までここで鴨川をどりが上演されるのをはじめ、水明会など多くのイベントが行われる先斗町歌舞練場のシンボル的存在です。
町家観察
町家の前にある竹のアーチ飾りでしょうか。それとも何か意味があるの?これは「犬矢来(いぬやらい)」といって町家の必須アイテム。犬のおしっこ除けです。おしっこ除けがこんなに美しいなんて、ちょっと驚きです。それから町家と言えばべんがら格子。べんがらは酸化鉄が主成分の赤色顔料で、これに松煙(松材を燃やした煤)を混ぜて酒で練り菜種油でのばして塗っています。作り方や配合は大工さんによって異なりますが、京町家独特色の合いとともに防虫・防腐効果にも優れています。
お地蔵さんの祠
京都の通りを歩くと、必ず出合うのが小さな祠。屋根も扉もきちんとあるし、花が供えられています。いったい何が入っているの、と思ったことはありませんか。正解はお地蔵さん。デザインや大きさも様々なお地蔵さんの祠が各町内にひとつずつあり、町内でお世話をしています。京都では8月24日前後に地蔵盆を行いますが、そのとき、お地蔵さんは祠から出されて町内にしつらえた祭壇に祀られます。地蔵盆の主役は子どもたち。京都の人にとって、楽しい夏休みの思い出です。
鐘馗さん
都の町家の小屋根の上に、小さいけれど迫力満点の「おじさん」がいるのをご存知ですか。立派なヒゲをたくわえ、長靴をはき中国の官服を着て剣を持っています。この人こそ「鐘馗さん」。疱瘡除け、魔除けの守り神として中国からやってきました。京都では昔も今も大切にされています。表情やポーズもさまざま。主に瓦屋さんで注文します。鐘馗さん同士は向かい合わないのがルールなのでどうしても対面する場合は目をそらしたり、代わりにお多福を置くこともあります。
天正年間の擬宝珠と橋脚
三条、四条、五条大橋のうち、擬宝珠(ぎぼし)があるのは三条と五条の橋だけ。一説には官製の橋には擬宝珠があり、四条大橋は町衆が架けたので擬宝珠はないのだとか。三条・五条大橋はいずれも豊臣秀吉が天正18年(1590)に石柱が三条大橋西詰め北側にも残っています。現在の三条大橋の擬宝珠にも天正年間の銘があるものも。昔の姿がしのばれます。五条大橋西詰め北側の公園に当時の石柱が数本立てられ、京都国立博物館の庭園には橋脚の一部が展示されています。
唐破風に鶏の彫刻
下木屋町を下がるに従い、規模の大きな建物が目立つようになります。静かで落ち着いた雰囲気のこの辺りは料理旅館が並び、納涼床も100人以上収容できる広々とした床が多くなります。その中の一軒の門に鶴の透かし彫りを発見。さらに奥の立派な唐破風の玄関には羽を広げた木彫りの鶴が。昭和初期に料理旅館として創業し、宮大工が手掛けた総檜造りの建物は威風堂々たる佇まい。凝った建物を見ながら歩くのも一興です。