京都の市街地を流れる鴨川は、風光明媚な京都の魅力の一つ。
京都市北区雲ケ畑から伏見区の桂川まで約31キロを流れています。その河畔には遊歩道やベンチも整備され、もちろん信号もなく車も通らないので一直線に歩いて行くことができます。鴨川納涼床が出ているエリアから鴨川の三角州(鴨川デルタ)まで約3キロ。20分ほどで歩くことができます。
きらめく川面を見ながら観光地から歩いて納涼床へ。緑の眩しい川辺の道です。
鴨川の歴史
今は穏やかな表情を見せている鴨川ですが、白河法皇が思うようにならないもの、として比叡山の山法師、サイコロの目とともに「鴨の水」を挙げたのは有名です。たびたび氾濫して被害をもたらし、1670年(寛文10年)には、今出川通から五条通までの区間に寛文新堤が設けられました。今も三条大橋の下に一部分が残っています。
カップルが等間隔に並ぶ風景が風物詩となっている四条河原は、今も昔も繁華街です。
江戸時代には多くの見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、夏は「夕涼み」の場所として、茶屋や料理屋が床几を出し、納涼床の前身となりました。祇園祭の「神輿洗い」が行われる場所としても見物客がひしめき、四条河原を囲むように祇園、先斗町などの花街も形成され庶民に人気の歓楽街となりました。
納涼床は流れの上に床几を置くスタイルから高床式に変わり、鴨川の西岸、東岸ともに出ていましたが、昭和10年の大洪水によってすべて流されたのを機に、納涼床をみそそぎ川の流れの上に建てる形式で統一されました。
鴨川おもしろポイント
擬宝珠(ぎぼし)が語るもの
三条大橋の擬宝珠には豊臣秀吉が架橋したときの擬宝珠がいくつかあります。天正18年(1590)、豊臣秀吉は五条大橋とともに三条大橋を石柱の橋に架け替えました。そのときの擬宝珠が三条大橋、五条大橋ともに残っています。
三条大橋の擬宝珠には、幕末、池田屋騒動の際、つけられたとされる刀痕のある擬宝珠もあります。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、探してみてください。

鴨川を美しくする会
鴨川を美しくするため、地域住民が昭和39年(1964)に結成しました。河川清掃や美化啓発活動に携わるボランティア団体です。鴨川納涼床協同組合のメンバーも清掃活動などに参加しています。
三角州(鴨川デルタ)
賀茂川と高野川が合流して鴨川になります。合流地点には三角州が形成されていて、川に配置されたとび石で渡ることができます。休日は市民の憩いの場としてとても賑やか。御蔭通を挟んだ北側は下鴨神社(世界遺産)。糺の森が広がっています。三角州は映画「パッチギ」(2005年井筒和幸監督)、「鴨川ホルモー」(2009年本木克英監督)などのロケ地にもなりました。
三角州の東側は出町柳。京阪電車と叡山電車の駅があり、観光に出かけるのに便利です。出町柳はかつて若狭で獲れた鯖に塩をして運んだ「鯖街道」の終着点でもあります。出町柳で荷をほどき、洛中の魚屋や料理屋に若狭の鯖を販売したのだとか。
「鯖街道」がなければ、京都の名物・鯖寿司も生まれませんでした。
とび石
カメのとび石が有名ですが、二条大橋北側には千鳥のとび石があります。その近くには舟形の石もあり、ここだけ異色のデザインです。
※とび石は増水時は使えません。
水鳥たち
鴨川は街中を流れていますが、水鳥たちが多く見られ、文字通り都会のオアシス的な存在です。シラサギやアオサギなどサギ類が目立ちますが、カモ、セキレイなども可愛らしい姿を見せてくれます。ただし、エサは決してやらないように。トンビに襲われる原因になります。また、真っ黒なカワウなども見られますが、彼らは鴨川の本来の住人ではありません。その貪欲な食欲のため生息地の魚を食べ尽くし、鴨川に飛来しているのです。そのために鴨川の生態系が危機にさらされています。一見平和な川にもドラマがあることを知ってください。
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歩いてみよう鴨川 コラム ①
夏目漱石の句碑
御池大橋西詰南側
御池大橋の西詰めに「春の川を 隔てゝ 男女哉」の句碑があります。明治の文豪夏目漱石の句で、「木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに」という一文が添えられ漱石と多佳の交流が窺えます。多佳とは祇園白川の茶屋「大友」の名物女将・磯田多佳のこと。谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文人、文化人に愛され文芸芸妓と呼ばれていました。当時木屋町御池にあった旅館「北大嘉」に泊まっていた漱石が詠んだ句です。
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歩いてみよう鴨川 コラム ②
阿国歌舞伎発祥の地
四条大橋東詰 北側
安土桃山時代の女性芸能者・出雲の阿国はもとは出雲大社の巫女だったといわれ、「ヤヤコ踊」を踊って人気を博しました。慶長8年(1603)、阿国は四条河原で「かぶき踊」を始め、男装の「女歌舞伎」として大評判になりました。元和年間(1615-1623)には北座、南座など七つの櫓(やぐら・芝居小屋)が官許され、四条界隈は大いに賑わいました。南座はその当時を窺い知ることができる唯一の劇場です。
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歩いてみよう鴨川 コラム ③
弥次さん喜多さんがいる三条大橋
三条大橋西詰
三条大橋は慶長6年(1601)に徳川家康が定めた東海道五十三次の西の起点。多くの旅人が京の都に胸を躍らせて入洛しました。京土産、京料理などもこの頃生まれました。江戸の戯作者・十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんもそんな旅人。三条大橋の西詰に銅像が建っています。三条大橋は幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、立派な擬宝珠は格式ある橋につけられるといいます。
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歩いてみよう鴨川 コラム ④
みそそぎ川ってどれ
みそそぎ川(禊・みそぎ川とも)は、鴨川西岸を流れる人工水路で鴨川の分流にあたります。大正時代に整備されたとされ、「昭和10年の大洪水」の後、大規模な河川改修工事「千年の治水」が行われ、この後納涼床はみそそぎ川の上に建つようになります。丸太町橋下流でみそそぎ川は姿を見せ(写真上)、鴨川と並行して南下し、二条大橋下流で高瀬川に分流。みそそぎ川はさらに南下し五条大橋手前で鴨川に合流します(写真下)。納涼床はみそそぎ川の上に建てられています。
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歩いてみよう鴨川 コラム ⑤
鴨川の鳥たち
鴨川には多くの野鳥が飛来します。川面に純白の姿を映すサギ。くちばしが黒いのはコサギです。グレーの大きなサギはアオサギ。チィーっと高い声で鳴く小鳥は恐らくセグロセキレイ。羽が黄色いのはキセキレイです。鳥の観察をしながら歩くのも楽しいものです。
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歩いてみよう鴨川 コラム ⑥
弁慶と義経が会った!? 五条大橋
五条大橋西詰
五条大橋は天正18年(1590)、豊臣秀吉の命で六条坊門通に架橋され、五条大橋と名付けられました。それまでは松原通の橋を五条橋と呼んでいました。ですから弁慶と牛若丸が会った橋は現在の松原橋にあたります。現在の五条大橋の西詰には弁慶と牛若丸が一戦を交える像が置かれています。五条大橋の擬宝珠には「天正十八年」と銘打たれたものもあり、当時の橋脚(石柱)を付近の児童公園などで見ることができます。